共働き夫婦の小学校問題。夏休みについて
息子の小学校をどこにするかで悩み継続中のソフモです。
夏休みが忙しい。小学生の親たちがプランニングに奔走する理由
ヤフーニュースから、このバズフィードの記事を拝見しました。
記事の内容は
- 共働きで昼間に大人が自宅にいないAくんの母親は夏休みの過ごし方を5月から予定を組み立て始めた。プログラミング、サマーキャンプ、実家の帰省など。
- 学童を利用することにも、へいそくかんを感じさえてしまうのではと心配。
- 長い休みの期間中、漫然と過ごすのではなく、成長や学びの機会にしたい。
- 小学校4年生のDさんは姉が塾通いで不在のため、別の予定を立てる必要がある。サマースクール、ダンスレッスンなど夏休みを埋めようとすると費用が10万を超える。姉の夏期講習などを加えると32万円。
こういった内容でした。
それでこの言葉に膝を打ちます。
すき間なく予定を詰めるのは、子どもを一人にさせる時間をなるべく減らしたいという、切実な思いからでもある。本当にそうなんですよ。一人にさせたくない。でもそのためには、働きに出る以上の出費がかさむ。小学生になったら大変だ。
子どもの気持ちは一体どうなんだろう。楽しい夏休みなのに、 これじゃあ楽しくないんじゃないかな。 うしろめたいままの子育ては嫌だ。 できれば自分の両親と暮らしたいけど、 そんなに贅沢いってられない。
でも子どもの気持ちって?
子どもの気持ちを考えるとき、僕は「自分だったら」って考えてしまいます。僕が小学生だった時のことを思い浮かべて、それと比較してかわいそうだとか楽しくなさそうとか、決めているんじゃないかな。
僕の父親は自営業だったため、比較的うちの近くにいましたし、母親もその手伝いと家事を主にやっていたので、ほとんど家にいました。また祖母もいましたので、両親が不在の時でも、誰かしら家にいる状態でした。だから安心して生活できたという良い面もありますし、さみしい思いをした記憶はありません。
夏休みも小学生になってからは、近所の年上、年下のお友だちと、自分の兄弟と、いろんなことして遊んでいました。子どもどうしで遊ぶといっても家の前の駐車場でカラーバットの野球だとか、ドロケイだとか、ミニ四駆を一緒に作ったり、ローラースケートしたり。麦茶飲みなさいって、縁側からおばあちゃんが呼んでいたり。
どこかしらに大人の目が入っていながらの遊びだったように思います。
その体験と比べることが果たして良いことなのかな?と敢えて自問自答してしまいます。それはそんな時代だったからじゃないかな。今は時代が違う。無いものを追い求めても無理が出る。今の時代の環境で、子どものことを思うなら、何ができるかな。
一人にさせない → 子ども同士で遊ぶ機会も必要だし。
有意義に過ごさせたい → 習い事だけが有益では無い。
安全に過ごさせたい → 顔見知りがいる環境が欲しい
一旦フラットで考えてみますが、やはり壁になるのはその場に大人がいられないこと。それを解決するには、出費がかかること。
またぐるぐる悩みは回るわけですが、この壁、きっとどこの親も感じていますよね。 もう少し悩んでみますか。
僕の経験だけが全てでは無い
朝、保育園に息子を送り届ける時に、夏休み期間中の今、学童にいく子どもたちをたくさんみます。学童(小学校)行ったら、それはきっと楽しいのだろうな。友達もたくさんいるだろうし。僕が経験していないだけで、否定するのもおかしな話だと思います。 もっと色々知らなきゃな。
息子よ。おとうも勉強するぞ。
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それでは〜(・ω・)ノシ