「丁寧に生きる」ことを感じるとき
こんにちは、ソフモです。
日々生活をしていく上で、心にささくれがたつことがあります。
イライラしたり、焦ったり、自暴自棄になったり、落ち込んだり、怒りっぽくなったり、こう羅列してみるとネガティブに心が揺れることが心のささくれなんでしょうね。
みなさんも少なからずあるのではないでしょうか。
「丁寧に生きる」が浮かぶとき
そういう時、僕は「丁寧に生きる」という言葉が頭に浮かびます。
丁寧に生きていれば、ネガティブな心の揺れの振れ幅が小さくなるのかな。と。
他にも。
妻の実家での畑仕事をする義理父を見て、ひとつひとつの工夫が今までの経験に基づくことだと教えられたときがあります。
ささいなことですが、芽がでるまではこのシートをかぶせて置くという行為でも、日向に動かしやすいように、リヤカーを利用して可動式にした台を作るとか。
そういうとき、「丁寧に生きる」という言葉が頭に浮かびます。
他にも。
実家でタオルケットが欲しいんだよな、と何気なく母親と会話していただけなのに、これ持っていきなとさっと箱入りのタオルケットが出てきたときがあります。
タオルケットはいつかどなたからかの頂き物で、箱はかなり古く年季物なテイストではあるものの、中身は新品のまま。箱を開けるとまるで玉手箱を開けたかのように、一気に時代の空気が立ち昇る。そんなタオルケット。
母から何気なく古いものがすっと出てきたとき、「丁寧に生きる」という言葉が頭に浮かびます。
自宅にて。お風呂に入るときに部屋で上着を脱いで脱ぎっぱなしにして、お風呂に入ったあと、部屋着に着替えて部屋に戻ると、脱ぎっぱなしの服がそのままに。体だけ溶けたかのように形まで今脱いだ風になっていて、そんなとき「丁寧に生きる」ってできてないなと、頭に浮かびます。
他には、
修理をしながら大切に使っているモノをみたとき。
天気の良い日の朝早くに洗濯物が干してあるのを見たとき。
古く小さな家だけど、手入れがされているのを感じたとき。
お祭りの準備を地域の手でわいわいとしているのを見たとき。
などなど。
実際に見て、遭遇して、体験して、「あ、このシーン、じんわりくる。」という瞬間があるんですね。
「丁寧に生きる」とは。自分なりの解釈
面倒くさがらずやる。
あたりまえのことをあたりまえにやる。
見て見ぬふりをせず、目の前のことをきちんとやる。
それを積み重ねる。
真正直に。
それが僕の「ていねい」
丁寧に暮らし、丁寧に生きる。
なかなかできていないからこそ憧れるのですが、毎日ひとつひとつを「きちんと」やれるように心がけたいです。
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それでは〜(・ω・)ノシ